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渡邉啓一郎 私の履歴書HEADLINE

住宅建築に携わって30年やっと最近「本物の家づくり」ができるようになりました

 渡邉啓一郎 私の履歴書 目次
■建築を志したきっかけ
■大手ハウスメーカー時代
■小さな工務店に勤めて
■(株)マイスターホーム 代表取締役に就任
■えっ!普通の家から有毒ガスが発生!?
■自然住宅仕様の初めての建築
■それでは何故お客様は 自然素材のいえを選ばないの?
■おかげさまでマイスターホーム創立25年が経ちます

建築を志したきっかけ
私が住宅関連の仕事をしようと思ったのは高校生の時でした。私の父親は大工の棟梁をしており主に下請けで木工事の手間受けをしておりました。父親の元で働く大工さんも5〜6人いたと思います。

この時代は景気もよく忙しくしていたように思います。ですから高校生の私は休みのときはいつも父親から日当5千円で材料運び、現場の掃除など職人さんの手伝いをしていました。

上棟式の日などはご祝儀やお弁当ももらえるので喜んで行っていました。

そしてこのとき棟梁である父親のかっこいい姿を初めて見たのではないかと思います。

家では無口で無愛想な父親が現場では他の大工さんや職方にかっこよく指示を出して何もないところからどんどん建築物が出来上がっていくではないですか。

施主様からは棟梁と呼ばれて感謝されているし、家での父親とは別人かと思うほどでした。

また、父親運転の車で現場に向かう途中や帰りに「あの建物は俺が大工工事して建ててんで」とか「あれは階段の納まり苦労した家や」とか何件も自慢・苦労話を聞かされました。

私に誇らしげに自慢している親父がかっこよく見えた瞬間でした。

ちょうどその頃進路で迷っていた私は建築関係に進もうと決心がつきました。

あの親父が作った建築物が大阪のあっちこっちにあり息子に自慢している姿が誇らしかったし、私も建築に関わって自慢できるような建築物を建てたいという思いが沸々とわいてきました。 
  
父と啓一郎1歳


父・弟とともに 
 大手ハウスメーカー時代
大学も建築学科に入り就職活動のときにいろいろと迷いましたが、お客様の顔が見える住宅に関わる仕事がしたいと思い、ハウスメーカーばかり受験し、その中で全国展開している大手ハウスメーカーに就職しました。

大学の友人はゼネコン(中堅 大手の建設会社)の現場管理や設計部などにほとんど就職していたのですが、私と一部の者だけハウスメーカーの営業で就職しました。

仕事先は希望がかなって大阪本店となり、住宅展示場にご来店いただいたお客様や住宅雑誌で資料請求いただいたお客様のところに営業に行くのですが、お施主様(ご主人)が仕事から帰られてからご自宅に伺います。

だから毎晩20時以降の約束で深夜まで打ち合わせすることも度々ありました。そのため帰りはほとんどが深夜12時を過ぎていました。

私のからだを心配する母親からは、半年くらいで「他の会社探したほうがいいのでは」と毎日のように言われていました。

ハウスメーカー時代 
先輩が2千万以上の商談を一人で決めてくるのが「めちゃくちゃ かっこよかった」し、中途半端でやめるのも嫌でしたし、また、先輩 同期とはすごく仲がよかったので「3年は絶対頑張ろう」と決意しました。

3年後には営業成績もバブル時代だったこともあり、コンスタントに1棟/月は受注していきました。仕事はやはりハードでしたが給与もそれなりにもらえていましたし充実した日々でした。

営業の先輩と

でも、「このままこの仕事をしていいのか?」と疑問が生じてきたのもこの頃でした。

私が建築業界を目指したのは施主様に喜んでもらえて自分が携わった作品が世に残るのを自慢したいという思いでした。

でもハウスメーカーではこれが出来ないのです。

ハウスメーカーの営業は毎月厳しいノルマに追われています。

月末になると、今月末までキャンペーンがあってご契約いただくと「外壁をグレードアップのものに提案しますよ」「〜万円値引きできますよ」とかでお客様を契約に導いていきます。

正直いうとこのキャンペーンは毎月あって、お客様が何を欲しているのかを上司と相談してキャンペーン内容を決定していました。

ここにお客様の都合はなく、やはり会社の都合があるのです。だから打ち合せも不十分なまま契約することも多く満足のいかないプランになっていたり、後で大幅な追加工事がでてトラブルになったことがありました。

そして、私が一番嫌だったことは、これはハウスメーカーの長所でもあり短所でもあるのですが、全国で年、何千棟を建築するハウスメーカーは、設計部・営業部・工事部がもちろん分かれています。

施主様に初めてお会いするのが営業部です。そして施主様に営業の私を(もちろん大手ハウスメーカーの信頼もありますが)信じてご契約いただけるのです。

でもご契約後 、営業はご契約したお客様のところにあまり行かなくなるのです。

いや、行きたくてもノルマが厳しく、次のご契約いただけるお客様のところに行くのを優先してなかなか行けなくなるのです。

お客様は、契約まではあんなに頻繁に連絡してきた営業マンに不満が出てきます。

お客様にとって「家」は一生に一度の高額な初めての買い物です。 でも、営業マンにとってはたくさんいるお客様の一人とみていることがあるのです。

とくに自分の家を建てたことがない若い営業マンにとってはお客様の気持ちがわからず、ギャップが生まれることがあります。

私も今でこそ自分でも家を建てて、お客様が家を建てる気持ちも少しはわかってきましたがハウスメーカーの営業時代、20代のころはわかっているふりはしていましたが本音のところは理解していなかったかもしれません。

恥ずかしい話、私が新人の時、2棟目のご契約のお客様で建築途中でしたが、ほとんど顔を見せない私に「この家いらんから持って返れ!」て、どなられたこともありました。

もちろん、ほとんどのお客様には喜んでいただき、全てのお客様がこのようにはなりませんでしたが私はこの流れ作業的なシステムがどうしても納得いきませんでした。

そして、ハウスメーカー在籍5年目(28歳時)が終了する頃にはたくさんの後輩も出来、指導する立場になろうとしていました。

そのころには自分でプランを描いて、そのお客様の家がそのプランどおりに建つことも多々あったのですが、でもなぜか満足することがありませんでした。

親父が昔、私に自慢していたこととは「何か違うなあ?」と思っており、そのころには施工するほうに興味がわいており、営業から工事部への転属を上司に希望しておりました。

でも、その要望もなかなか聞いてくれず、

そのとき父親の進めもあり、まだ独身であったこともあり、思い切ってこの会社を辞めて父親の会社で勤めることにしました。
小さな工務店に勤めて 
平成2年3月末に大手ハウスメーカーを退職して4月からは父親が社長の会社(渡辺工務店)に専務として入社しました。

しかしこの会社は大工さんばかりいる下請けの施工会社です。もちろん私は大工修行はしてなかったので私の出番はありません。

何もしないわけにもいかず毎日 現場に出てアルバイト時代と同じように材料運びや現場掃除などをやってました。

でも、このときの経験が今も役立っています。ハウスメーカー時代は営業でしたので住宅の作り方をぜんぜん知らなかったのです。

よくもまあカタログだけで身に着けた知識だけで2500万相当の家を毎月1棟売っていたものです。

そして私は毎日現場で掃除しながら大工さんや職方を質問攻めにしていたと思います。

1年経つころには住宅が完成するまでの流れがほとんど理解できるようになり現場管理も一人で出来るようになりました。

でも満足は出来ないのです。

今 施工しているのは下請け工務店としての施工なのです。お客様の顔が見えないのです。お客さんの喜んでいる姿が見えないのです。

このときから元請け工務店として営業から設計 現場まで全て自分でやってみたいと思いが強くなってきました。

そんな時ハウスメーカー時代の先輩から紹介を受けて新築の紹介を頂きました。

重量鉄骨3階建ての約延床面積50坪の新築住宅の仕事でした。予算は3000万 。小さな工務店としてはどうしても契約したいお客様でした。しかし競合相手が大手のHハウス。勝ち目は10%くらいだったと思います。

というのも、なんと渡辺工務店は重量鉄骨の施工をしたことがなかったのです。

お客さんから施工事例を見せて欲しいといわれたときには父の知り合いの電気屋さんが半年前に重量鉄骨で住宅を建てたことがあるのを知って(渡辺工務店が木工事のみ下請けで施工)そこを案内したぐらいです。

プランは父の知り合いの設計士(今でもお世話になっている貴田先生)に協力してもらいながら描いていき、見積書作成も初めてだったので1週間ぐらいかかって完成し、提出しました。

私のやる気満々の気持ちが伝わったかどうかわかりませんが、何とかHハウスにも競合で勝ち、契約が出来ました。

渡辺工務店 元請け工事での新築住宅の初受注でした。

しかし、契約はしたが、渡辺工務店は木造住宅の新築は経験があったのですが重量鉄骨の新築は初めてです。

そこで知り合いの工務店の社長に頼んで、なんとか、基礎工事 鉄骨工事の建て方まで現場管理を教えてもらいながら建築していきました。

私も3ヶ月間、ほとんど毎日 現場に行きました。だからお客様との打ち合せも密にでき、私にとってはたくさんの勉強もさせていただいて本当に満足のできる仕事となりました。

お客様にも喜んでいただき、引渡し時には奥様から「本当は私は大手のHハウスのほうがいいと思っていたんやけどあんたに頼んでよかったわ!」と言っていただきました。

このときの感動はハウスメーカー時代には味わうことがありませんでした。 やはり、元請け工務店でやっていきたいと心から思った瞬間でした
(株)マイスターホーム 代表取締役に就任
平成3年6月には職人が作る家という意味でマイスターホームと名称を変更し、私が代表取締役(29歳のとき)に就任しました。

このときも下請け工事はしていましたが元請け工務店として頑張っていきたいという思いは強くありました。

元請け工務店としてお客様に喜んでいただく住宅を提供したいという思いは強くありましたが、ハウスメーカーと比べても知名度ゼロの会社ですので、なかなかお客様からの問い合わせもなく契約できませんでした。

また、給料もハウスメーカー時代から比べると3分の1ぐらいになっていましたし、やはり大手ハウスメーカーをやめなければよかったのではという思いも時々ありました。

だから、この思いを払拭するためにこの頃から一級建築士の勉強を始めました。いや、正直、一級建築士事務所というブランドが欲しかったのかもしれません。

3年かかりましたがやっとのことで一級建築士の資格も取りました。平成6年の暮れのことでした。クリスマスの日に合格通知が届き、すごくうれしかったのですがやっと一級建築士の受験勉強から解放されるといううれしさのほうが大きかったかもしれません。

そして、翌年の平成7年1月17日 阪神大震災が関西地方に起きました。 私の結婚式がこの年の1月21日だったのですが招待客にも連絡がつかず、おめでたい雰囲気でもなかったので結婚式も延期となりました。

新婚旅行だけは行き、帰ってきたら神戸方面での仕事依頼がたくさんはいってきました。この1年はほとんど休み無しで働き、そして下請け工務店から脱却し、マイスターホームが元請け工務店になった時でもありました。

このころから仕事もだんだん順調に増えていきました。

でもこの時代に建築していた住宅はハウスメーカーよりは3割ほど安かったと思いますが他の会社と比べてもこれといって特徴がない「家」でした。

でもこのときは別に普通の家を売っているとしか考えていませんでした。
 えっ!普通の家から有毒ガスが発生!?
平成15年頃になるとシックハウス症が報道などで連日、報道されることが多くなり始めました。

住宅の新建材の接着剤やビニルクロスの接着剤からでるホルムアルデヒドなどの化学物質を吸って体調を悪くする方がたくさん出てきたのです。

私もそのときは3人の子供の父親(今は4人の父親)でしたので、今まで普通の家と思って建築してきた建物から有毒なガスが発生しているとは人事ではいられませんでした。

国もたくさんのシックハウスの症例が多く出てきましたので対策として新築する場合には室内に24時間の換気システムを必須にしたりF☆☆☆☆(フォースター)(ホルムアルデヒドの発散をなるべく抑えた建材や接着剤)を使用するように指導はありました。

弊社もこのF☆☆☆☆の建材に変更して換気システムも使っての住宅に変更していきました。
 自然住宅仕様の初めての建築
ちょうどこのころ、私の弟も脱サラをして幣社で働いておりました。賃貸マンションに住んでいたのですが住み替えで近くに弊社で新築を建てることが決定し、弟は内装を自然素材で建築したいと言い出しました。

池田市内の弟の家

そのころ弟の長男(私からすれば甥っ子)がアトピーで悩まされており、何とかしたいという思いだったと思います。でも私としては「内装を替えるだけで本当に直るのか」と半信半疑でした。

このときは自然素材を扱っている建材屋も少なく、インターネットで日本全国の建材屋に問い合わせして試行錯誤の上、弊社で初めての自然住宅の家が完成しました。やはり、今まで建築してきた家とは違って木の香りがして家の中で森林浴をしているような感じで、言葉ではなかなか言い表せないですが「すごく気持ちのいい家」が出来た実感がしました。

無垢材を使ったリビングルーム

薩摩霧島壁を使った和室

このはじめての自然素材の家で完成見学会を開き2日間で16件のお客様が来場をされ、やはり皆口をそろえて言われるのが「すごく気持ちのいい家」でした。  

 その中から2件自然素材の家を建築いただいたのですがそのうちの1件私が担当したK様はお子様がアレルギー体質で小学校でも気分が悪くなるとすぐ保健室に行かれるぐらい臭いに敏感で家探しでも非常に苦労されたようでした。

住宅展示場にも行かれたようでしたがお子様が中に入れない住宅展示場がたくさんあったようでした。でもこの自然素材の家は入られてぜんぜん気にならないと言ってくれました。

これにはご両親もびっくりされ、あるハウスメーカーでほとんど決定寸前でしたが弊社のほうでご契約いただきました。現在もその家にお住まいですが快適にお住まいされているようです。

それと私の甥っ子もこの自然素材の家に住んで半年後ぐらいにはアトピーもほとんどなくなり10年以上経ちますが「本当に昔アトピーで悩んでいたの!」というぐらいに回復しています 。

この因果関係は私は科学者ではないのではっきりわかりません。

でも床 壁 天井など手の触れるところの素材が人間とは最もはなれた地中の奥の奥にある石油で造られた合板フロアーやビニルクロスより人間の身近にある無垢の木や漆喰 珪藻土などで囲まれているほうが「快適だろうな」と想像はつきます。

新建材が出来る前の建物はすべて自然素材で出来ていました。無垢の木 土壁などで内装を使っていました。化学物質が出ることもなかったでしょう。

今の家は200〜300の化学物質が発生しているようです。私の友人や子供もアレルギー体質で悩んでおられる方が昔に比べて増えてきました。

子供の登校拒否 いじめ問題などの社会問題が最近良く報道されます。これらのことが化学物質と影響があるかどうかはわかりませんが少なからず影響があるのではないかと思います。
それでは何故お客様は自然素材のいえを選ばないの?
これはお客様が自然素材のいえ(シックハウスになりにくい家)を知らないからです。知らないから選ぶことが出来ないのです。

建築業者にも責任はあります。なぜか? 施工側の立場から言えば自然素材の家より合板フローリングやビニールクロスのいえのほうが「施工が早い」「施工が簡単」「見栄えがよい」などすべて業者側に都合のいい素材なのです。

そこには「お客様が安全に気持ちよく暮らして欲しい」などという気持ちは微塵もありません。お客様が知らないから自分たちに都合のいい製品を薦める。でも自然素材の良さを知っている業者は自宅の内装は自然素材でつくる。

  こんな建築業界は間違っていると私は思います。本当のことをお客様に全て伝え、そのうえでお客様に選んでいただく。それこそが大切なことだと思います。
 


おかげさまでマイスターホーム創立25年が経ちます
住宅建築業界に携わってきて私はおよそ30年になりました。新築 リフォームあわせて500件以上のご家族のお住まいのお手伝いをさせていただきました。

マイスターホームが創立してからも早いもので今年で25年目を迎えています。

地元でもたくさんの実績ができ、昔の親父のように息子に「この家はお父さんが設計したんや」とかいいながら自慢している私がいます。

親父に追いついたかどうかわかりませんが、自分ではこの仕事を選んで良かったと同時にこの業界に道筋をつけてくれた親父に感謝しています。

  これからもお客様に喜んでいただけるのはもちろん、家族が楽しんで安全で笑顔で暮らせる本物住宅を建築したい。そのためなら私は努力は惜しみません。これが私の本心です。

そして、まだまだ私の子供たちに自慢したいいえをたくさん建てていきます。 

一級建築士・宅建主任者  渡邉啓一郎